# プロローグ:キャリア全体像俯瞰 ルネ・ファルコネッティは一本の映画によって世界映画史に名を残した一方で、その生涯の大半を舞台女優として生き抜きました。 第一次大戦開戦前の1912年に国立高等音楽・舞踊学校に入学、次の大戦の迫ってきた1935年を最後に舞台を離れています。両大戦間に活躍した舞台女優の位置付けであり、短期休養と映画撮影( 『裁かるるジャンヌ』 )による一度の長期離脱をのぞくとほぼ途切れることなく舞台への出演を続けていました。 彼女の俳優キャリアは所属していた組織に応じて以下の8つの時期に分けることができます。 1 : [[02_1912 - 1914|デビュー以前 (1912 - 1914)]] 2 : [[03_1915 - 1919|オデオン座 (1915- 1919)]] 3 : [[04_1919 - 1924|アントワーヌ座~ヴォードヴィル座 (1919 - 1924)]] 4 : [[05_1924 - 1925|コメディ・フランセーズ (1924 - 1925)]] 5 : [[06_1925 - 1927|『裁かるるジャンヌ』撮影 (1925 - 1927)]] 6 : [[07_1927 - 1929|サラ・ベルナール劇場第一期 (1927 - 1929)]] 7 : [[08_1929 - 1931|ラヴニュー劇場 (1929 - 1931)]] 8 : [[09_1931 - 1935|サラ・ベルナール劇場第二期とその後 (1931 - 1935)]] 1~2は下積みの時代に相当し、3~4は表現と立場の両面で模索と成長が見られる時期となります。5~6にかけて舞台女優の評価はピークに達し、7~8では活動の重心が変化しつつ、次第に表舞台から距離を取っていく。折々に短期・単発のオファーを受けていたため実際の動きはより複雑ですが、この仮組みで捉えていくことでキャリア展開を追いやすくなるのではないかと思われます。 女優ファルコネッティが特殊なのは、本人の自己認識、舞台女優としての評価と、後世の映画俳優の評価の間に大きなねじれが見られる点です。 国立高等音楽・舞踊学校時代から感情表現の豊かさは折り紙付きで「末はレジャンヌ並みの大女優」と期待されていました。実際、オデオン座でのデビュ―以降は正統派の舞台女優として実績を積み上げています。しかしながら、2度に及ぶ大きな挫折(コメディ・フランセーズでの内部対立と離脱、ラヴニュー劇場運営の失敗)を経て演劇界で孤立する形となり、同業者、批評家や愛好家からの評価を次第に落としていきました。 一方、彼女は世界映画史でも特筆すべき作品の一つである『裁かるるジャンヌ』に主演、忘れがたい名演を残しています。しかしファルコネッティにとって映画女優業は「我が天職にあらず」の扱いで、キャリア形成の重要要素とは見なしていませんでした。 『裁かるるジャンヌ』公開後も映画雑誌でのインタビューにはほとんど応じておらず一線を画していたのです。 生前に最重視していた舞台女優としての評価と、死後に決定的となった映画女優としての評価とがほとんど接点を持たないまま乖離している。現在、特に『裁かるるジャンヌ』を通じて彼女を発見し、人となりや女優像を理解していこうとした際にはこのねじれが障壁となります。映画女優として評価を試みようとしても、叩き台となる一次資料が極端に少ないため一貫した人物像を定義しにくいのです。 本プロジェクトはこのねじれに対応した一つのアプローチを提供するものです。筆者の私蔵する当時物の資料アーカイヴをベースとし、彼女の女優キャリアを時系列に再構成しながら『裁かるるジャンヌ』が流れのどこに、どのように位置しているのか可視化を試みていきます。 --- ##### 年表ナビ / Chronology Navigation >[[02_1912 - 1914|最初の時期へ →]] ---